2018年7月30日 UP
マネジメント

博多商人の特徴から見る「博多で300年続いた要因」とは。

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みなさん、こんにちは。
4月より開始したコンテンツ「次世代リーダーへ贈る、100年経営のすすめ」、今回は100年超企業当主のインタビューをお送りします。「100年企業」と一口に言うのは簡単ですが、「100年企業」一社一社には現代に至るまでの様々なストーリーがあり、各社とも山や谷を乗り越え100年という節目を迎えています。本コンテンツでは、日本に3万5千社以上あるという「100年企業」それぞれのストーリーをお伝えすることで、『100年続く普遍的な要因』を見出し、その学びを少しでも実務に生かしていただきたい、という思いで配信いたします。
今回は第五弾として、福岡県博多の300年企業「光安青霞園茶舗」のインタビュー記事を掲載いたします。

 

100年超企業当主インタビュー その5
~創業302年光安青霞園茶舗 営業部長 光安伸之 氏〜

享保元年より福岡県博多でお茶問屋を営む「光安青霞園茶舗」。創業300年をむかえる超老舗企業です。光安青霞園は、時代の変化に伴い問屋から小売業へと業態を変え、近年では日本茶喫茶をオープンしています。斜陽産業でありながら、光安青霞園が永く続けてこられた要因とは何か。本インタビューでは、光安青霞園茶舗の長寿要因について後継者である営業部長の光安伸之氏にお話を伺いました。

 
 

多くの人に知ってほしい“5月の新茶のおいしさ”

――本日はお忙しい中お時間いただきましてありがとうございます。特に5月はお忙しい時期ということですが、何か行事があるのでしょうか? ※取材日は2018年5月18日(金)

光安(以下、敬称略):
今、ちょうど仕入(入札)の時期なんですよ。
八十八夜の歌は知ってますでしょう?「夏もち~かづく、は~ちじゅうはちや」という歌、小さい頃よく聞きましたよね。これはお茶を摘むときに歌われた『茶摘み』という歌です。八十八夜とは、立春(2月4日)から数えて88日目の日のことで、今年は5月2日でした。1年で一番良いお茶が採れる日と言われており、この日に摘まれたお茶を飲むと1年間無病息災で元気に過ごすことができると言い伝えられています。
つまり、今まさにお茶が摘まれ、新茶が売りに出されている時期なんです!お茶を買う人は年々減っていますが、この5月のお茶の美味しさを多くの人に知ってほしいなと思っています。

 

 
――そうだったのですね。光安青霞園では、どこのお茶を仕入れているのですか?

光安:
今は主に、八女茶(福岡県南部に広がる“八女地方”で作られたお茶)で鹿児島茶も仕入れています。昔は主に京都のお茶を仕入れていたと聞いていますが、今は主にこの2つですね。八女茶も昔(戦前)は知名度が低かったみたいですが、最近色々なところで名前を聞くようになりました。
お茶の産地として昔から有名なのはやはり静岡だと思います。以前、静岡のお茶問屋で働いていたのですが、静岡は静岡のお茶だけではなく、全国からお茶が集まってきているんです。

 
 

祖父と父の働く背中を見て、自然とお茶屋になりたいと思っていた

――光安さんは、新卒で今の光安青霞園に入られたのですか?

光安:
いいえ、お茶屋を継ごうとは思っていたのですが、卒業してすぐに家業に入るのは少し違うなと感じて、一度外の企業で働きました。お茶屋とは全く関係のない水産関係の仕事でしたね。
ただ、数年経験を積んだら家業に戻ろうと決めていたので「数年で辞めますが雇ってくれますか?」と正直に伝えました。「給料はいりません」とも言いましたね。

 

――「給料いりません」ですか!?それはなかなかすごいですね。

光安:
だって、3~5年で辞められたら困るでしょう?私たちもそうですが、会社には1年間の流れというものがあって、それは3年くらい働いてやっと分かるものだと思うんです。そして新卒の社員は5年くらい経ってやっと使いものになる。そこで辞めますというのは失礼な話でしょう。父からも「給料はもらってくるな」って言われましたよ。ただ、雇先の社長は本当に良い人で「別によか、給料出すよ」って言ってくださり、そこの会社で社会人の基礎を教えていただきました。

 

――光安さんは、いつ頃からお茶屋になろうと思っていたのですか?

光安:
いつだったかな?もうずっと前から決めていましたね。子供の頃は学校が終わると、家ではなくて店に帰ってきて、毎日お茶屋で働く祖父と父を見ていました。それで自然と「お茶屋になろう」と思うようになったのです。父からは「継ぎなさい」と言われたことは一度もなくて、いつも「好きなことをしなさい」と言われていました。
なぜ永く続いてきたのか、という理由もやはり小さい頃からお店にいて仕事を見ていたというのが大きいと思います。私の場合は、地元に店があったから良かったのですが、もし地元と違うところに店があったら「お茶屋になろう」とは思わなかったかもしれませんね。私にとっては店が家のようなものでしたから。

 

――100年以上続く企業の場合「継ぎなさい」と言われないことが案外多いのですが、光安さんの場合も、小さい頃から自然と家業に触れる中で「継ごう」と思ったということですね。その積み重ねが永く続く理由なのかもしれませんね。

 
 

博多の永い繁栄は、商人の「見栄を張らず、時代にあわせて変化させる」姿勢にあり

光安:
あと永く続くと言えば、博多の祭りには永い伝統がありますよ。全国から200万人があつまる「博多松囃子(どんたく(日本最大級のお祭りの一つ))」は839年続いていますし、「博多祇園山笠(どんたくと並ぶ博多の伝統的なお祭り)」は777年続いています。それらの神事に深く関わっている方に「どうしてそんなに続くのか?」と聞いたことがあるのですが、その方は「博多の人間は見栄を張らんやったけん、博多に人が残ったから」と言っていました。
戦国時代の商人たちは刀を持って戦う力はありませんから、見栄を張って戦いに出るのではなく、そそくさと逃げだしたそうですよ。死んでしまっては全てが終わりですからね。それでほとぼりが冷めた頃に戻ってくる。博多商人が長く生き続けたのはそういう理由だと聞いたことがあります。特に文献として残っている訳ではないので、本当かどうかはわからないのですが。

 

――博多商人は、とにかく生き残ることを第一に考えていたということですね。

光安:
そうですね。似たような話がもう一つあって、ある博多人形の人形師の方も「売れることをせないかんし売れる物を作らないかん」と言われてました、今どき博多人形なんてそう買わないでしょう?昔はどこの家にも玄関やお座敷に博多人形があったんですが、今はあまり見かけませんから。なので、時代に合わせて作る物やその技術の使い方を変えていると言われてました。
そうやって、博多商人が上手く続いているのは、見栄を張らずに時代に合わせてやり方を変えてきているからなのかもしれません。

 

――光安青霞園では、時代の流れに応じて変えていることは何かありますか?

光安:
弊社は元々お茶の問屋業と小売業を営んでいたんですよ。昔は問屋業の比率が多かったみたいです。問屋業は“荒茶”を買って、仕上げをした商品や、仕上茶を集め小売店に卸すというのが仕事です。昔は、京都の宇治茶を持ってきて売っていました。明治・大正時代になると八女茶の生産量も増え、次第に八女茶中心の取り扱いになってきました。ただ、次第に流通が良くなり、産地から直接消費地に物が届く様になり、消費地での問屋業はなかなか売れなくなっていったんです。それで弊社も段々と小売の比率が多くなってきました。昭和40年くらいになると博多にも多くの量販店ができ始めたので、そこにもお茶を卸していました。しかし、量販店の相次ぐ吸収合併で問屋は窮地に立たされ、自社で小売を強化していくしかなくなったのです。
お茶には煎茶・玉露・かぶせ茶など色々な種類がありますが、その違いがわからないお客様が多いんですよね。そのため味を試飲できるスペースとお茶の淹れ方を教えられる場所を作ろうと思い日本茶喫茶を作りました。そうしたら、これまでの常連のお客様だけではなく、「美味しい緑茶が飲める場所を探していた。」というお客様や、喫茶で出しているお茶菓子を求めて新しいお客様の来店が増えたんです。これは想像していなかったですね。今は抹茶生チョコレートやフィナンシェなどのお茶菓子が人気ですよ。そこからお茶の購買にどのように繋げていくかが現在の課題です。

 

――光安青霞園も時代に応じて業態を変化させ、これまで続けてこられたのですね。

光安:
今の時代に対応できているか?と言われるとわからないですが、少しくらいは変えてこられたかなと思います。
これからも大好きな博多の土地で代々続くのれんを守っていこうと思います。

 

――ありがとうございました!光安青霞園茶舗の今後のご発展を祈念しております!

 
 
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編集後記:
博多で300年超『光安青霞園茶舗』後継者、光安伸之さんのインタビュー記事をお届けいたしました。お茶業界の現状や、お茶の美味しさについて熱く語る光安さんの姿に、300年超続いたのは、やはり光安家の「お茶が好き」という強い想いの賜物だと感じました。また、博多の伝統的なお祭りとの関係性や、博多商人の性質などとても勉強になりました。“お祭りが永く続く理由”と“企業が永く続く理由”に関連性はないと漠然と考えていましたが、もしかすると何かしらの共通項があるのかもしれません。こちらも調べて見たら面白そうだなと感じました。
光安青霞園茶舗 光安伸之さん、今回はご協力いただきましてありがとうございました!
(文責:VALMEDIA編集部ライター 遠藤あずさ)

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