- 2019年6月13日 UP
- マネジメント
新しいものを取り入れる「近江商人」の特徴を活かして、みんなで街を盛り上げたい!
みなさん、こんにちは。
「次世代リーダーに贈る、100年経営のすすめ」第10弾として、今回は100年超企業次期当主のインタビューをお送りします。
「100年企業」と一口に言うのは簡単ですが、「100年企業」一社一社には現代に至るまでの様々なストーリーがあり、各社とも山や谷を乗り越え100年という節目を迎えています。本コンテンツでは、日本に3万5千社以上あるという「100年企業」それぞれのストーリーをお伝えすることで、『100年続く普遍的な要因』を見出し、その学びを少しでも実務に生かしていただきたい、という思いで配信いたします。
今回は第10弾として、滋賀県近江八幡市の100年超企業「西勝酒造」のインタビュー記事を掲載いたします。
~100年超企業インタビュー記事その10~
創業302年『西勝酒造』11代目(現専務取締役) 西村明さん
江戸時代の風情が色濃く残る近江八幡旧市街にて、郷土料理と地酒を堪能できる喫茶店と多目的ギャラリーを運営する西勝酒造。西勝酒造では酒造業以外の事業を早期に模索し、現在は観光客増加の流れに乗り、「みて」「のんで」「あそべる」空間として『酒游舘』を運営しています。今回はその“空間”をデザインされた、西村明さんにお話を伺いました。
同業施設を視察し、お客様が何度でも訪れたくなる空間をデザイン。
――本日はよろしくお願いします!
近江の町並みも昔ながらの趣ですが、こちらのギャラリーもまさに老舗ならではの空間ですね。
西村(以下、敬称略):
ありがとうございます。この多目的スペースと隣接するお食事処と喫茶店を「酒游舘(しゅゆうかん)」と名付けています。
これらの絵は江戸時代に作られたもので、酒造りの工程を描いています。ここはもともと酒を熟成させるための蔵として使われていました。今は、実際に使われていた樽や酒槽(さかふね)、徳利、あわせて絵画や写真、工芸品などを展示して、酒造りの現場や当時の雰囲気を伝える空間としています。また国内外のアーティストのコンサートなども開催していまして、地域文化の活性化に寄与しています。昨年は常設展示以外にコンサートやイベントを60回開催しました。
――酒造業界はどこも厳しく、蔵を閉じてしまう酒蔵も多いと聞きます。そのような状況下で西勝酒造はうまく業種転換をされていると感じますが、「酒游舘」をつくられるまでのエピソードをお伺いできますでしょうか。
西村:
もともとは、倉庫として使っていた明治蔵を酒の資料館に改装してはどうか?と父が言い始めたんです。その頃はまだ他社で働いていたのですが、眼の前に人参をぶら下げられましたので(笑)、これを機に家業へ戻ろうと決意し、資料館づくりは私が中心となって行うことになりました。
改装にあたり、東海地方から近畿一円にある蔵元の資料館をプランナーと共に見学して回りましたが、そこで気付いたことは、規模の大小にかかわらず「二度も三度も行くようなところではない」ということです。お金がかかっているところは、蔵人の人形が動いたり様々な細工が凝らしてあったりしますが、それでもやはり一度見れば十分だなと感じてしまいます。
できればリピーターとして、何度でも来ていただける空間を作るにはどうすれば良いだろう?と考えた時に、郷土料理と地酒の喫茶店が思い浮かんだのです。
1985年から八幡堀畔で私の母を含む地域の女性5人が共同で喫茶店を運営していたのですが、そこの評判がとても良かったので、新しい事業として喫茶店のイメージは描きやすかったと思います。
さらには、お酒が好きな人だけでなく色々な人に来てほしいという思いから、単に酒造道具の常設展示をするだけではない多目的スペースを父に提案しました。私自身音楽が大好きだったので、ライブハウスのような展開もありだなと考えていました。
「人間も買うていただいているのや」「とりこしてやれ」という言葉を大事に。
――確かに、美味しい料理が提供されるお店には何度も足を運んでしまいます。視察を経て人が集まる理想の空間を専務がデザインされたのですね。
もともと家業を後継しようということは考えていたのですか?
西村:
漠然と継ぐんだろうなとは思っていました。家業へ戻る前に務めていた会社では5年ちょっとお世話になりましたが、本社の京都から名古屋へ転勤になるときには「いずれ家業に戻らないといけないけれども問題ないですか?」ということは諮りました。父からは特に何も言われていませんでしたが、蔵を改装するにあたり初めて「家業に戻って欲しい」とはっきり意思表示されましたね。
――専務は現在11代目ということですが、西勝酒造の歴史をお伺いできますか?
西村:
創業は享保二年(1717年)。今から約300年前です。
初代は西村勝右衛門(にしむらかつえもん)と言いまして、現在の東近江市市辺で庄屋を務めていました。この勝右衛門が享保二年から酒造りを初めたことが当家の古文書として残っています。お察しの通り、西村の「西」と勝右衛門の「勝」の字をとって「西勝」酒造ですね。
近江商人を勉強されている方はもちろんご存知かと思いますが、もともと近江商人は各地で商いを行い、代金の代わりに得た米を活用しようと酒造りを始めました。今でも各地に「近江屋」という酒屋が見られるのはそのためです。
この近江八幡の土地には、明治後半に引っ越してきたと聞いています。もともとは庄屋でしたので、農業のかたわら余ったお米や頂いたお米で醸造業を営んでいたのですが、明治以降は酒造業を主で行っています。
今は「酒游舘」になっている蔵は、8代目が明治37年(1904年)に建てました。
――西村家には家訓や家憲などは残っていますか?
西村:
家訓というものは特にありませんが、8代目の勝次郎が遺した「人間も買うていただいているのや」と、9代目の祖父が言っていた「とりこしてやれ」という言葉は大事にしています。8代目の言葉は「酒だけでなく人間も」という意味です。「とりこしてやれ」は「先延ばしにしないで、できることは今やりなさい」ということですね。
観光地化の良い流れを逃さない!地域で連携し街全体を盛り上げたい。
――やはりどのような商売でも、売る人の“人間力”が重要なのですね。
「酒游舘」と近江八幡の現状についてお伺いできますか。
西村:
幸いにして、近江八幡には豊富な観光資源があります。「八幡堀」や「安土城址」は言うまでもなく、近年はたねやさんの「ラ・コリーナ」がものすごく観光客を集めていますね。滋賀県のホームページを見ても観光名所としてラ・コリーナがトップに掲載されています。海外の観光客もどんどん増えていまして、本当にありがたいことです。
「酒游舘」を27年前に始めたときは近隣に飲食店はうちとマルタケ西川さんというお肉屋さんが直営するレストランしかなかったのですが、ここ数年で同業店が増えて商店街全体に活気が戻ってきました。
ただ、やはり商店街全体の高齢化は進んでいまして、私は家業に戻ったときに商店街の役員になりまして現在は副理事長を務めていますが、未だに役員としては最年少なんです。以前はイベントの際にはテントを借りてきて露天に立てるのが通常でしたが、今は体力的に「危ないからもう止めよう」と。(笑)
最近は観光客の増加に伴い加盟店に若い方々が増えているので、上手く世代交代が行われていくのではと期待しているところです。
――近江八幡の旧市街では、イベントが多いのですか?
西村:
『八幡堀まつり』というのを毎年秋に行っていますね。城下町の町並みをロウソクでライトアップしてとっても賑わいますよ。商店街としても勿論協力していて、キャンドルを並べたりビールや軽食の販売を行ったりしています。それ以外にも、2年に一度『BIWAKOビエンナーレ』という現代アートの芸術祭が開催されます。その時期には色々な作家の方が町家や蔵で制作・展示をしています。
夏と冬には商店街の大売出しとして『八幡いち』を開催します。近江八幡市は近江商人が交易を行っていた北海道の松前市と姉妹提携を結んでいまして、年末になると松前市から様々な物産を仕入れて、年末に地域の方に販売をしてお正月に備えるというのが恒例になっています。そういう意味では四季折々、様々な行事を行っている地域ですね。
――これからも歴史的風情が残る街ならでは様々なチャレンジができそうですね。
最後に専務のビジョンをお伺いできますでしょうか。
西村:
「敷居は低く、奥は深く」「小じんまりとしているが密度は濃い」をモットーにお客様に飽きずに足を運んでいただける「酒游舘」でありたいです。
あわせて、若い力と共にみんなでこの街を良くしていきたいなと思います。
「酒游舘」ではいろいろなアーティストが演奏するので、もちろん追っかけの人も各地からいらっしゃるのですが、最近では向かいに民泊ができまして、コンサート後にそのまま民泊に泊まっていく人が多いです。このあたりは夜になると全く静かな街で、コンサートが終わってから打ち上げをするような場所もなく、もちろん宿泊施設もありませんでした。それが最近では観光客が楽しめる様々なお店が増えてきました。
商店街としては、もっと若い人が集まってくれる新しいイベントを企画しないといけないと思っています。若い店主が増えているとは言っても、旧市街全体としては人口が減って空き家もどんどん増えています。まさに空洞化が進行している状況です。
現在空き家の新規開店には力を入れていて、今年になって3つ新しいお店がオープンしたのは嬉しいことです。近江八幡は近江商人の土地ですから、新しいものはどんどん取り入れてお互いに潤っていけばいいよねという気風です。頭はとっても柔らかいので、余所者を受け入れる土壌があるのは良い点です。
「たねや」さんにしても、明治期にアメリカからやってきたウイリアム・メレル・ヴォーリズの勧めで洋菓子をつくり始め、和菓子だけでなく洋菓子にも強い菓子店になりました。
そのように街の進取の気風を活かして、商店街全体がもっと盛り上がるように工夫していきたいと思います。
――ありがとうございました!西勝酒造並びに、商店街全体の今後の発展を応援しております。
(文責:VALMEDIA編集部ライター 遠藤あずさ)
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