2019年5月13日 UP
マネジメント

「和菓子に魂をこめる。」和菓子職人としてのこだわりこそ長寿の秘訣

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みなさん、こんにちは。
「次世代リーダーへ贈る、100年経営のすすめ」第9弾として、今回は100年超企業当主のインタビューをお送りします。

「100年企業」と一口に言うのは簡単ですが、「100年企業」一社一社には現代に至るまでの様々なストーリーがあり、各社とも山や谷を乗り越え100年という節目を迎えています。本コンテンツでは、日本に3万5千社以上あるという「100年企業」それぞれのストーリーをお伝えすることで、『100年続く普遍的な要因』を見出し、その学びを少しでも実務に生かしていただきたい、という思いで配信いたします。
今回は第9弾として、栃木県宇都宮市の100年企業「高林堂」のインタビュー記事を掲載いたします。奥様にも取材に同席していただきお話を伺いました!

 

100年超企業当主インタビュー記事その9
~創業134年『高林堂』3代目当主 和氣康匡さん~

カリカリの食感とほどよい餡この旨味が人気の宇都宮銘菓「かりまん」。その「かりまん」を製造・販売しているのが創業134年を迎える菓匠「高林堂」です。実は大好評の「かりまん」は現当主の渾身の一作。高林堂の経営難を救った銘菓なのです。本インタビューでは、高林堂の和菓子作りにかける想いと長寿要因について若き3代目当主にお伺いしました。

 

老舗の看板を気にせず、いち和菓子職人として勝負したい。

創業134年 高林堂
3代目 和氣康匡さん

――本日はよろしくお願いします!宇都宮を中心に大ヒットしている「かりまん」シリーズを開発したのは当主だということで、お話を伺えるのを大変楽しみにしておりました。奥様にも同席いただきとても嬉しいです。

和氣(以下、敬称略):
ありがとうございます。こちらこそどうぞよろしくお願いします。

――当主は現在37歳。3年前にはお父様より社長職を承継しているようですが、とても早い代替わりですね?

和氣:
そうですね。和菓子屋にしては早い交代かと思います。祖父から父への承継が37歳のときでしたので、父的には「そろそろタイミングかな」という流れだったようです。父自身はまだ元気なのですが、「もっと自分がやる!」という頑固さはなく、「時代はどんどん変化していき、それを作っていくのは若者だ」と言う考えがあるので、比較的自由にやらせてもらっています。

――現在、当主は高林堂の何代目にあたるのでしょうか?

和氣:
3代目とカウントしています。
高林堂の歴史を少しお話ししますと、もともとの創業は「和氣」ではなく「小島家」なのです。明治18年(1885年)に創業をしています。祖父である和氣勇雄は戦前の1935年に高林堂へ修業に入り、戦後独立し自身の和菓子店を構えました。しかし、当時高林堂では後継者がおらず、「ぜひのれんを継いで欲しい」と祖父に白羽の矢が当たりまして、創業家から高林堂を承継することになったのです。そこから父、私とつながっています。
そのため、高林堂としてではなく“和氣”として世代はカウントしているのですが、おそらく小島家から計算すると5~6代目くらいかと思います。父は8代目くらいじゃないの?と言っているのですが、和氣はあまり過去を気にしない体質なので(笑)、創業年数や何代目ということにはほとんどこだわっていません。父も常々「伝統と看板で食っていける時代ではない」と言ってますし、それは私自身も感じているところです。高林堂では老舗の看板を武器にしようという感覚は全くありません。いち和菓子屋として、職人として勝負していきたいと思っています。

 

「和菓子に魂をこめる。」職人がオーナーであることが長寿要因。

――老舗の看板を武器としない、そんな当主の和菓子職人としてのこだわりは何でしょうか?

和氣:
「和菓子に魂を込める」ということですね。
私も父もどちらかというと気持ち的な部分が大きいタイプなのでうまく説明できないのですが、和菓子作りにはとにかく真剣に向き合っています。

奥様:
隣で見ていて感じるのは、“ものすごいこだわり”です。新しいお菓子を作るときは、出来上がるまでに相当時間をかけています。私たちが試食してみて「美味しいね、いいんじゃない」と言ってもそこから更に掘り下げます。かりまんやマカロン、どら焼きなどのメイン商品は全てとことん掘り下げたものです。脱落していく商品はどれも掘り下げが足りなかったものだと感じます。
たかだか120円のお饅頭ですが、お客様にリピートしていただくというのは本当に大変なことです。その一つ一つに魂を込めていなければ「かりまん」もここまで広く売れてはいないでしょう。今はコンビニで手軽に美味しいお菓子が買える時代ですが、この「なんとなく美味しい」はものすごく計算された“企業努力”だと私は思います。作り手の魂がないとヒット商品を生み出すことはできない。私は隣で見ていてそう感じさせられました。それに販売スタッフも魂のこもった商品でないと気持ちが入りませんしね。

――奥様のお話を伺って、当主の和菓子作りにかける真剣さが伝わりました。高林堂が100年超続いたのも、その想いの強さに要因があるのでしょうか?

和氣:
そうですね、高林堂が続いてこれたのはオーナーが職人だったからだと私は感じています。祖父も父も私も、いち和菓子職人としてその時代にあう商品を試行錯誤して生み出してきました。オーナーが作り手じゃないと、お菓子の細部には手が届きません。オーナーが思ったことと、作り手が思ったことが少しでも違うと本当に良いものは作れないと思うのです。オーナーが職人だというのは高林堂の大きな強みではないでしょうか。

 

父への反抗心が「後継」の決め手!

――当主は、幼い頃より高林堂を継ごうと考えていたのですか?

和氣:
実はもともとは継ぎたくないと思っていたんですよ。(笑)
ただ、幼少期からいわゆる住まいの下に工場と店舗がある環境で育ちましたので、自ずと和菓子に囲まれた生活を送っていました。外に出るときも必ずお店を通りますし、両親はいつも忙しくしていたので、朝ごはんの代わりに柏餅を食べさせられていました。私は、柏餅と草餅と桜餅を食べて育ったんです。(笑)
和菓子屋にはあまりなりたくなかったのですが、ものづくりは好きだったのでお寿司の板前さんやラーメン屋さん、パン屋さんになりたいなと考えていました。それでも、お店を通って外出する際はお客様から「跡取り」と声がかかるので、「やっぱり継がないといけないかな?」と思うことはありました。

――「継ごう!」と決意されたのはいつ頃だったのですか?

和氣:
中学生の時に三者面談があったのですが、そこで父から説教されたことがきっかけでした。実は当時私の成績がとても悪く、「高校進学についてどうしましょう?」という面談だったのですが、その内容を聞いた父が私のあまりの勉強のできなさに「お前には絶対に継がせない!」と激昂したんですね。その言葉を聞いた時に「何がなんでも継いでやる!」と決意を固めたんです。私は相当ひねくれ者でして。だめと言われるとやりたくなってしまうんですね。(笑)
その後、高校卒業後に東京のお菓子の専門学校で2年間学び、東京自由が丘の「蜂の家」で5年間修行をしました。修行は5年間という父との約束でしたので、その後は高林堂に戻り、今に至るという経緯です。

 

「高林堂」の不易流行。自社製餡こは絶対に変えない。

――高林堂に戻られてからは、かりまんやマカロンの開発、他店舗の出店などに注力されているようですが、かりまんの開発時のお話を伺えますでしょうか。

和氣:
実は、修行から戻ってすぐに新店舗がオープンしたんです。ただ、この新店舗オープンは高林堂にとってはじめての取り組みで、大きな借金を抱えてのものでした。父も私が高林堂に戻ってくるということで、気合が入っていたんですね。自分と同じモチベーションで我武者羅に働いてくれる人が増える喜び、自分と同じ責任感を背負ってくれる心強さを感じていたのだと思います。しかし実際の売上は想像を下回り、借金の返済がままならず、父も私も給料ゼロでなんとか凌ぐという危険な状況が数ヶ月続いていました。
私が戻った頃の高林堂は“高級店”というイメージが強かったので、一般消費者が手軽に買える新商品を作り、高林堂のイメージを覆す必要があると私は考えました。ある時、福島県で固くなったお饅頭を揚げたものを打っているお菓子屋さんがあり、それがとても美味しかったので、そのアイデアを基に試行錯誤して作ったのが、現在のかりまんです。
ただ、美味しい新商品をつくっただけでは経営難を乗り越えることはできなかったと思います。新店舗の販売スタッフや店長たちが私の作ったかりまんの想いを汲んで、一生懸命お客様にお声がけをして、かりまんを配って紹介をしてくれたんです。その販売スタッフ一人ひとりの行動のお陰で売上が大幅に上がり、なんとか経営難を脱することができました。

――かりまんの美味しさとスタッフの努力があり、経営難を乗り越えることができたのですね。当主はモダンな和菓子も多く開発されていますが、高林堂の不易流行についてお伺いできますでしょうか?何かこれだけは変えないというものはございますか?

和氣:
変えないものは、餡こですね。高林堂では自社の餡場を持っていて、そこで自社製の餡こを作っています。「餡こを自分のところで取らなくなったらお菓子屋をやめろ」と祖父は常々言っていましたが、高林堂にとってそこは変わらない軸ですね。
実際、餡こをつくるのは大変なんです。整備や機械、設備投資にもお金がかかるし。けれども同じ小豆や砂糖の量でも、どのように作るかによって餡この味って全く違うんです。これからも自社製の餡こを変えるつもりはありません。逆にいうと、それさえ守れればどのようなお菓子を開発しても良いかなと思っています。

――最後に今後のビジョンをお伺いできますでしょうか。

和氣:
私自身は、高林堂を大きくしたいというよりかは、いち和菓子職人としてチャレンジしたいという気持ちが強いタイプですので、競争が激しい東京や、まだ和菓子市場が開拓されていない海外には大きな関心があります。現在はシンガポールの高島屋で催事出店をしたり、イギリスの客船クイーエリザベス号のお菓子に採用していただいたりと、グローバルなチャンスも広がりつつありますので、和菓子の素晴らしさがどこまで通用するのか、今後も挑戦を続けていきたいと思います。

――ありがとうございました。高林堂の今後の発展を応援しております。

 
 
高林堂の公式HPはこちら
100年経営のすすめ、他記事はこちら
 

(文責:VALMEDIA編集部ライター 遠藤あずさ)

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