2019年1月24日 UP
マネジメント

技術は文化になり得るか?時代とともに変化した「技術」の形。 ~日本的経営の学び舎Ⅵ~

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1月16日(水)、技術経営士の会 & VALCREATION 共催企画「日本的経営の学び舎」第六回目を開催いたしました。
日本的経営の学び舎は、戦後復興からバブル経済、第三次産業革命、リーマン・ショックを経験され、日本経済の最前線で活躍された「技術経営士」を講師に迎え、長い経験から得られた知見や知恵を「日本的経営」という切り口から、明日を担う若き次世代リーダーに向けて伝授いただく場です。

第六回目は、日本経済新聞にて「サイエンス」創刊後16年間編集長を務められ、また北の丸科学技術館の副館長を務められた、科学ジャーナリストの餌取章男さんを講師に迎え「技術革新が引き起こす変化と日本的経営」というテーマでご講話いただきました。

 

科学の世界では2019年は重要な年。

冒頭、餌取さんより「科学の世界では今年はとても重要な年ですが、皆さん何の年か分かりますか?」と問いかけがあり、受講生からは「平成最後の年?」などの回答をいただきましたが、科学の世界では「国際周期表年」にあたると餌取さんより解説がありました。

150年前、ロシアの化学者メンデレーエフは「物質を構成する基本単位である“元素”はある規則に従って周期的に存在している」とし、その発見を周期表として発表しました。科学の世界ではダーウィンの進化論、アインシュタインの相関論に次ぐ3つ目の大発見と言われています。2019年はこのメンデレーエフが周期表を発表してちょうど150年目の節目の年。科学界では周期表を積極的にアピールしていこうという動きが加速しているようです。

 

宇宙開発における旧ソ連とアメリカの裏の戦い。

餌取さんは「お話ししたいことはたくさんありますが、できるだけ経営者の皆さんに役立つような内容を選抜してお話させていただきますね」と宇宙開発のお話に移りました。
餌取さんが大学を卒業した1957年、世界で初めて人工衛星が打ち上げられました。この偉業を成し遂げたのは旧ソ連です。当時アメリカでも精力的な研究開発が行われていましたが、各機関がそれぞれに研究を進めるという力の分散により成果に結びついていませんでした。そんな中、共産主義のソ連が国を挙げて力を結集し、ついに衛生を打ち上げたのです。
第一号としてスプートニクが飛んだときは世界中が驚きましたが、その後1年以内に計4号の衛星打ち上げに成功し、それから間も無くガガーリン(宇宙飛行士)が地球を一周し、世界中がソ連の宇宙開発力に恐怖の念を抱きはじめていました。冷戦下にあったアメリカでは、宇宙開発で負けるということすなわち“軍事力”で負けることを意味するため、なんとかしてソ連に追いつき追い越さなければと、当時大統領のジョン・F・ケネディが大号令を発し「1960年代が終わる前に月に人間を送り込み、無事に地球に連れ戻す」と宣言しました。これをアポロ計画と言います。その後は莫大な予算をかけて宇宙開発を行い、宣言通り1969年7月20日に月へ着陸。餌取さんは当時TV局に務めていたため、その様子を実況中継していたそうです。

もともとアメリカが宇宙開発に力を注いだ経緯として、ロケットはミサイルと構造が同じため、表向きは“平和のための開発”と謳いながら裏で軍事力を強化しているという構図がありました。冷戦下ではロシアに宇宙開発で負けることすなわちロシアに軍事力をもって世界を制覇されるという恐怖があったのです。
しかし、アポロ計画が始まってから十数回と月への着陸が行われましたが、実際持ち帰ったものは月の石だけで、社会や国にとって何も意味がないものでした。そして冷戦終結後にはこの技術を人々の生活に役立つように活用しようと実用性のある衛星に対して予算が回されるようになったのです。

 

技術は文化になり得るか? 時代とともに変化した「技術」の形。

その後「技術は文化になり得るか」というテーマについて、ソニーの井深大さんを例に説明がありました。世界的企業であるソニーは、戦後の創業で一番に年商1兆円を達成した企業です。ソニーが成功した要因は「トランジスタラジオ」の開発でした。超巨大コンピュータが主流だった当時は真空管が半導体の機能を担っていましたが、1950年代には真空管の代わりにトランジスタが実用化されました。しかし、高品質のトランジスタを開発するのは難しく、性能の良くないトランジスタが行き場を失っていました。そこに目をつけたのが井深さんでした。井深さんはコンピュータに使えない性能の低いトランジスタをなにかに転用できるのではないかと考え、当時たんすサイズのラジオにトランジスタを起用し、持ち運び可能な小型ラジオの開発を考えました。これが大当たりし、ソニーは一挙に成長を果たします。またトランジスタの需要が増えたことにより値段が下がり、トランジスタの研究開発に費用がまわされ、そこから一気に性能の高いトランジスタの開発が進んだという意味で、井深さんは大きな社会貢献を果たしたとも言えるでしょう。

これらの功績を讃え、井深さんは「文化勲章」を受賞するに至ります。しかしそれに対して「井深さんは“技術者”であるにもかかわらず“文化勲章”を授けるとはどういうことか」とマスコミを中心にブーイングが起こりました。餌取さんは当時そのブーイングに対して「井深さんが文化勲章を受賞するのは間違っていない」ということを記事として寄稿しており、その内容についてお話をいただきました。
まず文化の定義について、広辞苑によると「文化とは人々の生活を豊かにするための様式」とあり、そこには「技術」という言葉も入っています。現代日本人が「文化」=「技術」ではないと考えるようになった大きな要因は、「技術」の考え方の変化が大きいと餌取さんは説明しました。江戸時代以前「技術者」は尊敬の対象であり「技能者」とも呼ばれていました。それが、明治時代に入ってからは西洋から輸入した技術を日本的に消化し、国内では急速な産業革命が起こりました。この頃から「技術」は国を発展させるための道具であり、金儲け、産業発展の手段だと思われるようになります。これは戦後も同様です。戦後復興の時代、日本人は国を富ますため一生懸命働くしかなく、そのときも「技術」を金儲けや起業発展のための手段として使ってきました。このような経緯から、日本では「技術」の本来あるべき形が歪んでいき「文化」にはなり得ないという発想が根付いてしまったのです。
しかし、井深さんが発明したトランジスタラジオは間違いなく人々の生活を豊かにするものであるため、技術者であろうとも文化勲章を授かるに値する人物であると餌取さんは当時主張したようです。

 

普段あまり触れることのないお話を拝聴し、参加者からは
「仕事に没頭しているとつい視野が狭くなりがちなので、自分の関心のある分野だけでなく広くリベラルアーツを学ぶことが重要だと気づきました」
「私たちは、“技術”はあって当たり前という時代を生きていますが、その“技術”を開発してくださった方がいたからこそ今があるのだということを理解しました。また今後も新たな“技術”の開発によって私たちの暮らしや社会も大きく変化していくのだということが腹落ちしました」
などの感想をいただきました。


次回の「日本的経営の学び舎」は、2019年2月20日(水) 矢野薫さん(日本電気株式会社元取締役会長)を講師に迎え、「SDGsを実現する日本的経営」というテーマでお話しいただきます。

次世代を担う志ある若手経営者、若手ビジネスパーソンのご参加をお待ちしております。

 

(文責:VALMEDIA編集部ライター:遠藤あずさ)

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